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Eto Ryosuke 著
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遊びの集い (játszó) [洪語. < jatszik:遊ぶ.]
村の若者たちの集い。単なる遊びを始めとして,互いを良く知り合う事を目的としたり,楽しんだりする事を目的とした諸々の習慣が,そこでは行われる。参加に当たっては特別な規則というものはないが,多分に習慣的なものである。一般に,春から秋にかけての期間,日曜日の午後,礼拝が終わった後に始まり,暗くなるまで続けられた。遊びの集いが行われた場所は,村の中心広場,広い通り,村の近くの採草地,牧草地,橋のまわり,門の下,広い中庭,居酒屋の中庭などであった。若者たちは、それぞれの年齢集団ごと,仲間ごとにそれぞれの「遊びの集い」を設けてそれに参加していた。そして、村の殆ど全ての若者,子供から成人までが,それぞれいずれかの「遊びの集い」に参加した。そしてこの集まりを通して,年上の年齢集団たちの習慣や振る舞い方,踊りなどを学ぶ機会を得た。遊びの集いの中での生活は管理されたものではなかったのではあるが,村人によってそれは常に監視されていた。そして,教会の責任者や村行政の代表者が,若者たちのグループのリーダーと伴に,そこで流れてゆく生活に対して常に干渉してもいた。

一般に青年たちは、ボールなどを使ったゲームの類に興ずるのが普通であったが,少女たちは,歌を歌う遊びで楽しんだりサークル・ダンスを踊った。青年たちがそれに加わることによって踊りの機会が始まるわけであり,一部の地域では,場合によっては居酒屋の中で夜もそれが続けられる事があった。子供たちは,年上の若者たちの踊りや遊びを見ていた。この遊びの集いは,伝統の枠組みの中に属する,偶発的に起こる踊りの機会の,かつて国内全域に普及していた最も一般的な形式であり,同時に,踊りを習ったり練習する主要な機会でもあった。

前世紀に書かれた歴史資料の中には,この,遊びの集いに関連する数多くの記録が残されている。そして大平原のうち,最近においては舞踊生活が特色を失っている地域からも残されている (例えば、トゥルク・カーロイによる、ホードメゼーヴァーシャールヘイ町近郊に関する記載)。セーケイ地方からは、オルバーン・バラージュによって「遊びの集いの庭」について言及されている (フェルチーク地方)。バクシャイ・シャーンドルによる大平原の紹介や、コヴァーチ・アラダールによるシャールケズ地方の記載は世紀転換期に書かれたものであり,当時の姿を生き生きと今に伝えている。ハンガリー語使用地域のいくつかの地方では,戦間期においても,この遊びの集いの風習は残っていた。しかもなお、残留形態として更にその後もしばらくのあいだ残りつづけた (例えば,トルナ県,バラニャ県、ショモジ県の一部,ドナウ川沿岸域,ガルガ川地方,パローツ地方,ボドログケズ地,ニールシェーグ地方のいくつかの村々ほか)。

(出典:Magyar Néprajzi Lexikon)
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by kislexikon-a | 2009-09-13 15:33 | ・遊びの集い