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Eto Ryosuke 著
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カテゴリ:・ヴェルブンコシュ音楽( 1 )
ヴェルブンコシュ音楽(verbunkos)[洪語.]
18世紀最後の終わりから19世紀の中葉にかけてハンガリーで展開した舞踊音楽のフォームである。その固有性から,その時代の器楽音楽スタイルをヴェルブンコシュ・スタイルと呼び,そして,ハンガリーの音楽史のうち1780~1830年にかけての半世紀をヴェルブンコシュ期と呼んでいる。民族的な要素に満たされたこの音楽スタイルは国中の人々に受け入れられ,近代ハンガリー音楽の国民スタイルとなった。19世紀のハンガリーの全ての芸術音楽は,このスタイルを模範として作曲されたのである。

男性舞踊・ヴェルブンクの場合と同様に,この音楽スタイルは,18世紀から19世紀の半ばにかけて行われていた(踊りと音楽を使った)募兵活動に由来するものである。使われている旋律要素の起源をたどってゆくと,ハンガリーの民俗風の器楽音楽の伝統の他に,イスラム世界の音楽スタイル,中近東諸民族,バルカン諸民族,スラブ諸民族の音楽スタイルの影響,さらには,ウィーン,イタリアの近代音楽の要素をも見いだすことができる。

このヴェルブンコシュ音楽は,1790年頃すでに円熟した姿をとっていた。初期ヴェルブンコシュ音楽と呼ばれるものである。その特質を挙げると以下の様になる。器楽による固有のコロー・リズム(多くの場合,ヴァイオリンの技法から発生される),遅いテンポと速いテンポの交代(後には,ハルガトー(hallgató)とフリッシュ(friss)との交互の繰り返しとなる),付点リズム,決然とした短音階,長音階のメロディー,即興的な装飾演奏が行われること,定式化した終止法,など。また,この時代のヴェルブンコシュ音楽においては,外国の芸術音楽に由来する要素はまだ画然としていた。これらは,それに続く数十年の間に同化してゆき,当たり前のものになっていった。

これに続く世代のヴェルブンコシュ音楽は絶妙な技法を用いるものである。そしてそれは,初期ヴェルブンコシュ音楽によって提示された発展の経路を飛躍的な歩調でさらに進んでいった。ヴェルブンコシュ音楽は,その時代に到ってフォーム上の意味で開花することになる。つまり,複数の部分からなる比較的長いものに拡大するのである。そして,ハンガリーの室内音楽の基礎となり,表題組曲音楽の形成への発展の可能性を切り開くことにつながった。なににもまして,メロディーの創作面で(民俗音楽や古い音楽の要素を題材として取り入れることによって豊かになり)国民を代表する芸術音楽というレベルにまで,それは高められた。

19世紀の20 年代に入って,舞踊音楽の意識的な収集が始まった。全盛期のヴェルブンコシュ音楽のフォームをさらに発展させたのは,19世紀第2半世紀のハンガリーで最も多くの作品を残した作曲家ロージャヴェルジ・マルクであった。新しいスタイルの踊りチャールダーシュは,彼の創作活動を通してますます豊かさを増していった舞踊音楽「フリッシュ」をその下地として発展したものであった(ちなみに,新しいスタイルの踊りの代名詞である「チャールダーシュ」という舞踊名は,1835年に彼によって作曲された同じ題名の作品に由来する)。形作られると直ぐに人気を高めていったハンガリー最初の社交舞踊の音楽(1842)も彼による作品であった。この「ケルターンツ」(Körtánc:サークル・ダンス)の流行は,40年代の半ばで頂点に達っするが,その後たちまちのうちに姿を消してしまった。しかし,1844年以来踊られるようになった社交舞踊「チャールダーシュ」はこの様ではなかった。それは,貴族の社交界における流行の踊りとなり,ハンガリーの音楽生活全体の中で特別に重みを置かれたものとなり,そして長い間に渡って一般的に好まれ続けたのである。

ヴェルブンコシュ音楽の推進者には,職業上の音楽家と芸術愛好家との両方がいた。外国の音楽家たち ―― そのうちの幾人かは,短期間・長期間に渡ってハンガリーにおいても活動した ― もまた,ヴェルブンコシュ音楽を編曲した。新しい舞踊音楽が普及してゆく過程において,ジプシー音楽は,その最初から重要な役割を担っていたと言える。ヴェルブンコシュ音楽の演奏方法の伝統が,まさにジプシー楽団の技法の中から生み出されたであろう事は疑いのないことである。また,ハンガリーの舞踊音楽の作曲者で,その作品が活字となって刊行されている作曲家は,ビハリ・ヤーノシュ1人ではなかったからである。

19世紀全体の流れを見ると,ヴェルブンコシュ音楽の発展過程には四つの異なる方向へ向かう流れがあったことが分かる。その4つの方向を列挙すると次の通りとなる。
1.無名の楽士,収集家,編曲者がピアノ音楽,室内楽の分野でその伝統を守り続けた。
2.舞台用の音楽の作曲家たちが,ハンガリー・オペラ創立のプロセスの中で,ヴェルブンコシュ音楽を題材に用いた。
3.声楽作曲家たちが,芸術歌曲の世界にそれを移植した。
4.交響曲の作曲家たちが,ヴェルブンコシュ音楽の素材を用いて,ハンガリー管弦楽の芸術部門を確立した。
この様な発展過程を通し19世紀の中頃には,ヴェルブンコシュ音楽は,近代音楽としての体裁を整えるに到っていた。これを通して,統一的な国民芸術音楽のスタイルが,このヴェルブンコシュ音楽という形で,この頃すでに確立されていた。そしてそれは,ハンガリー国内の西ヨーロッパ芸術音楽のセンターをその影響下に入れ,自身の中にそれを同化させていた。さらにまた,大規模な芸術音楽の形をとる可能性が,この時点ですでに用意されていたのである。

(出典:Néptanc Kislexikon)
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by kislexikon-a | 2009-09-13 16:12 | ・ヴェルブンコシュ音楽